その時、厳しく言われていたのは、タマネギの根元を切ってしまっておく時も、青ねぎを束ごと小口切りにして山ほど薬味を作るときも、ゆで卵のカラを剥いてみじん切りにしておくときも、「水洗いをするな」ということ。
ちょっと考えると不思議なんですが、家庭料理と違って、下ごしらえした野菜や食材はその日の内に必ず使い切ってしまえるとは限らないわけです。
すると、水分があると、カビたり、腐ったりする原因になるんですね。
生ゴミが臭いのは、生ゴミに含まれる水分が、腐敗を進行させるからなので、一晩くらい置いて、よく水を切ってから捨てると、くささもだいぶ、マシになります。
あるいは、ゴミ袋の底に、新聞紙などを入れて、水分を吸収させると良いと、書いてある本もあります。
水は、少なくとも地球上では、あらゆる生物の生命活動に必要不可欠ですが、栄養素には分類されていません。酸素といっしょです。
日本に暮らしていると、水は無尽蔵にあって当たり前のように感じてしまいますが、そんな国は世界中にそう沢山はありません。
食器を洗うにも、お風呂に入るにも文字通り「湯水のように」水やお湯をザブザブ使う贅沢に、慣れてしまっている眼には、先日のTVで見た世界の常識は驚きでした。
その時のテーマは、「きれいときたないのさかい目」だったと思いますが、洗剤を付けたスポンジで、食器を洗っていた白人の女性が、泡だらけの食器をフキンで拭き上げて、おしまいにしていました。
それだけ、水が貴重でケチケチ使う習慣ができあがっているということらしいです。
イタリアでも、フランスでも、ワインがあれほど発達したのは、水が良くないのが理由の一つ。
イタリアでは、食事の時子供の水のコップに、消毒のために、ワインを数滴垂らしてあげるそうです。ペットボトルの消費量が世界一だとも。お水のほうがワインより高いとも言っていました。(本当でしょうか?)
日本に暮らす外国の人々が、口を揃えて言うのは、「しばらく日本で暮らしてから、帰国して、水を飲むと、以前は大丈夫だったのに、下痢をする」ということ。
「お腹が弱くなったんだ」と言うのですが。
命にとって水が不可欠なのは、水分に溶かして必要な栄養素を全組織に行き渡らせてくれたり、逆に水分の中に溶け込まして不要物を排出する仕事をしているから。
でも、う〜〜んと小さな命、水の分子と大して変わらないような微生物では、どうなんでしょう。
水分の中に浮かびながら、その水分に溶け込んでいる栄養分を浸透圧によって細胞膜から取り込んだり、不要物を捨てたりしながら、生きているのかな。
これって、人間の身体の中で起こっていることと、大差ないような。
拭き掃除、洗濯、入浴・・・どれも「よごれ」を「水」になすりつける作業といったら、言い過ぎでしょうか。
つまり、わたしたちはみんな、要るモノを運んでもらい、要らないモノを運び去ってもらいながら、水に生かされているということ?
水って、本当に凄い。
支離滅裂になってしまいましたが、最近見たいくつかのTVと読んだ本の影響で、今日はちょっと、水について、書いてみたくなって、こんな記事になりました。